2008年 08月 31日
Migrateを見てきた |
みてきましたよ。
なぜか「G-net TOKYO」主催の森林イベントを。
以前からみんな準備を進めていましたので、とりあえず岐阜での発表ということで、よこちんとさなうぇと見に行った。
会場はめいほうのこうじびら山の家。きーちゃんや十文字さんにさいしょ森を案内してもらってから、ウッズマンワークショップ水野さんのレクチャーやパネルディスカッションをやって、いよいよ映像上映とダンス。
「コンテンポラリー」とつく表現は一つのジャンルなどではなく、それぞれが自立した手法を試すアートなのだと思う。当然、作品単体を取り出しての評価はしにくい。場、必然性、オーディエンスとの関係性などが、作品の質にとってより重要になってくる。
郡上の森の中でコンテンポラリーダンス。
『人と森の距離を繋げる』というプロジェクトサブタイトルのわりに、
ダンサーが掲げた作品のテーマが『東京に住む自分と森林との距離』であったことには皮肉を感じざるを得ないし、何故東京のアーティストでなければならなかったのかという疑問をさらに深めた。必然性のプロデュースに対するこだわりが、足りない。
宮沢賢治の農民芸術に傾倒しているせいもあって、
「足下にあるもの」「自分がつくるもの」「自分が美しいと感じるもの」っていうことを本当にやっているアーティストはとても少ないと思っている。そもそも「アーティスト」という職業そのものに対する疑問であるし、アートや表現を商品として市場げ形成されるという事態そのものに対する疑問だから当然なんだけど。
それでも本物はあるし、いる、と思ってはいる。
郡上のめいほうのあの場所だからこそ感じられる素晴らしい作品、というようなものを次は期待したい。
なぜか「G-net TOKYO」主催の森林イベントを。
以前からみんな準備を進めていましたので、とりあえず岐阜での発表ということで、よこちんとさなうぇと見に行った。
会場はめいほうのこうじびら山の家。きーちゃんや十文字さんにさいしょ森を案内してもらってから、ウッズマンワークショップ水野さんのレクチャーやパネルディスカッションをやって、いよいよ映像上映とダンス。
「コンテンポラリー」とつく表現は一つのジャンルなどではなく、それぞれが自立した手法を試すアートなのだと思う。当然、作品単体を取り出しての評価はしにくい。場、必然性、オーディエンスとの関係性などが、作品の質にとってより重要になってくる。
郡上の森の中でコンテンポラリーダンス。
『人と森の距離を繋げる』というプロジェクトサブタイトルのわりに、
ダンサーが掲げた作品のテーマが『東京に住む自分と森林との距離』であったことには皮肉を感じざるを得ないし、何故東京のアーティストでなければならなかったのかという疑問をさらに深めた。必然性のプロデュースに対するこだわりが、足りない。
宮沢賢治の農民芸術に傾倒しているせいもあって、
「足下にあるもの」「自分がつくるもの」「自分が美しいと感じるもの」っていうことを本当にやっているアーティストはとても少ないと思っている。そもそも「アーティスト」という職業そのものに対する疑問であるし、アートや表現を商品として市場げ形成されるという事態そのものに対する疑問だから当然なんだけど。
それでも本物はあるし、いる、と思ってはいる。
郡上のめいほうのあの場所だからこそ感じられる素晴らしい作品、というようなものを次は期待したい。
by oniku99
| 2008-08-31 18:17
| 岐阜のこと